【卒業】アメリカンスクールに通うこと約9年…

いつも「ゆうきが斬る」をご購読の皆さん、ありがとうございます。

今回の記事はこのブログの著者である「ゆうき」の話になります。新しい学びを得ることが出来ないと思います、ただの普通の高校生がアメリカンスクールに10年通い卒業するまでの長編のお話になります。

それでも興味ある!という方はお読み下さい。

長いお話になりますが、どうかお付き合い下さい。

著者「ゆうき」

マレーシア在住18歳学生ブロガー。マレーシアの名門インターナショナルスクールに9年間通い、日本語・英語・中国語が喋れるマルチリンガル。2018年には討論アジア大会で入賞、2020年にはオックスフォード大学主催の論文コンテストでカテゴリー入賞。複数のウェブサイトやブログを運営。  

サラッと自己紹介

まずは簡単に自己紹介させてください。

2012年にマレーシアへ来馬、小学4年生からアメリカンスクールに通う事9年、2021年に卒業しました。最初に来た頃の英語力は皆無、今ではネイティブレベルと自分で言うのもなんか可笑しいですが、それなりにしっかり英語喋れます。

アメリカの高校で受けられる大学単位であるAPに2020年に合格、パンデミック禍の中での卒業となり、最後の年は特に波乱万丈の物となっています。

日本での話は省かせていただいて、アメリカンスクールに通いだしてから卒業するまでの自分の変化とアメリカンスクールで得られたスキルなどをこの記事では綴っていきます。

アメリカンスクールに入学したのは2012年

まずアメリカンスクールに入学したのは2012年、著者が小学4年生の時に遡ります。

最初に入学したアメリカンスクールは小中高一貫のインターナショナルスクール、開校当初という事もあり、全校生徒は約10名、生徒の数より教師の数が多い、そんなこじんまりとした学校でした。

そのため入学当初は4年生はまさかの「自分だけ」そんな贅沢な経験をさせていただきました。当時は4年生と3年生が「同じクラス」として見なされていて、スケジュールは一緒、勉強する内容だけ多少調整されていましたが、そんな環境が英語力が皆無の著者にとって最善の場所でした。

3年生と合わせても3人、たった3人で教師は必ず2名はいる状態、ほぼ1対1の環境で英語を集中的に教えてくださったので、発音の基礎や簡単な英単語から、基礎中の基礎から教えてくれた事が後々振り返って考えるととても貴重な授業でした。

このおかげで自分の英語がここまで成長したと言っても過言ではありません。

途中の語学力は??

最初の英語力は皆無だった訳ですが、半年もすれば友達や先生と普通に会話するまでに成長します。子供は覚えるの、本当に早いですね。

我ながら今振り返るとよく1年でインターの授業に完全についていけるまでの英語力になったと思います。めっちゃ早い。

これから語学目的で教育移住を考えている方、子供さんは意外にもめっちゃ早く英語は覚えます。

生徒が少ない環境、日本人も著者だけという環境だったので「英語を覚えないと生きていけない」という状況にいきなり放り込まれれば人間本気で勉強する物です。

生徒が少なく皆ウェルカムしてくれたので、あまり会話は出来ないながらに優しく接してもらい、今でも当時のクラスメイトとは交流があります。

インターでは学校が変わってしまうと連絡を取らなくなる事がすごく多く、また転校する生徒がとっても多いのでずっと連絡を取り続けられるというのは結構稀な状況なのです。

それはさておき、番組の「世界こんな所に日本人?」状態で始まった学校生活は色々ありましたが学校側の手厚いサポートのおかげで数ヶ月で慣れることができ、友達もでき、今となってはあの学校に通って本当に良かったと思っています。

実は学校選びは最後の最後まで迷っていた?

その学校こそ「ラッフルアメリカンスクール」というジョホールバルにあるアメリカンスクールなのですが、最初は学校選びを悩んでいました。

当初入学する予定だったのはあの名門イギリス系のインターナショナルスクールである「マルボロカレッジ」です。当時からマンモス校とまではいかないですが、生徒数は数百人、厳しい受験もあり大人気の学校でした。

実はラッフルズに入学したのは「マルボロカレッジ」の受験結果が出るまでの「期間限定」での入学の予定でした。学校に通わない訳にはいかないのでその間数カ月間だけ通うと最初は決めていて、ただの穴埋めでしか無かったのです。

ラッフルズの方も面接はありましたが、形ばかりのテストに即日合格「明日から来ていいよ」との事だったのでこのスピード感は穴埋めには丁度良い。

後日無事にマルボロカレッジからも合格通知が来たので、そこで「転校するのか」と考え出します。元々目指していたのはマルボロ、ネームバリューだって上です、質も方や広大な敷地や設備を持つ学校、ラッフルズは当時は仮校舎でした。

しかしラッフルズの環境に丁度馴染んでいた頃、友達も出来た頃の通達だったので、「変えたくない」そんな決断を当時小学生だった著者はしていたみたいです。

こうして選んだラッフルズアメリカンスクールに約5年間通うことになりました。

最初に困った事は

入学当初困ったのは「語学」と思いきや、実は語学はそこまで悩んでいません。

それもそのはず、日本語だってまだまだ未熟な小学生です、英語の飲み込みは早いし、語学が出来なくたって友達は出来ました。

一番戸惑ったのは学校の教育スタイルです。小学3年生まではずっと日本の公立学校に3年間通っていて、日本の教育スタイルとアメリカンスクールの教育スタイルの違いにまず仰天。

日本では黒板があり、先生がその前に立ち、ノートをに書き写す、先生が指名したら手を挙げ答える、そんな所謂「優等生」スタイルを演じていたわけですがまずノートが無い、先生は生徒の隣に座っている、そりゃ戸惑います。

椅子だってありませんでした、椅子の代わりに置いてあるのは「バランスボール」です。Googleの本社か!と突っ込みたくなりますが、本当に「バランスボール」が大きな丸い机の周りに配置してあり、先生も生徒目線になった一緒に考えてくれます。

このスタイル、日本で「優等生」を演じてきた著者にとってはとても衝撃的なスタイルでした。

「発言する為に手を挙げないの?」

「ノートに先生が書いたの写さないの?」

まず学校への持ち物リストが「水筒」だけだった時点で何かが違う事は感じていましたが、学校で使っていたのはパソコン。

いや、小学生ですよ、パソコンなんて家に1台あっただけです。もちろん10年前の小学生がスマホを持っている訳もありません。

そして最初の課題は「プレゼンを作る」という事でした。今でも覚えています「熱帯雨林とはどういう場所?」というプレゼンを作っています。

英語は知らない、パソコンは殆ど触ったことが無い、そんな小学生がいきなりプレゼン作りです。

先生に「作ったこと無い」という事も伝えられません、暗記しないの?暗算しないの?字を書き写さないの?頭は衝撃と質問だらけで一杯です。

周りのクラスメイトは何も驚いている感じは無く、普通にパソコンの電源ボタンに手を伸ばしています。そしてそのボタンを押し、なにやら「パワーポイント」というものを使って作業を開始しています。

何それ?

ただアタフタしているとこの無知な僕にも、言葉が通じない僕にも親身になって「パワーポイント」やらの使い方から「グーグル」という物で調べる方法を教えてくれています。

図書館で辞典引いて調べるんじゃないんだ、、、そんな便利なツールがあるんだ、そんな新しい発見だらけの衝撃の学校生活はまだ幕を開けたばかりでした。

でも楽しかったのか?

そんな新奇な学校生活が始まりましたが、当時はもちろん大変でした。「慣れ」という味方がすぐに自分に現れる訳ではありませんでした。

今まで想像すらしていなかった「学校」という物にいきなり入ってみて、大変を勝っている感情があった事も事実です。

それが「楽しい」という感情です。

こんな状況でしたが今までには無いほどに「学校」という物が楽しめていた時期でもあります。日本の公立学校は自分の性格には合っていない事も小学生ながらに気づいていて、まさに平均を求める日本の学校には馴染めていませんでした。

人と違うことが悪である日本の教育では病名をもらってこい、そんな事も言われていましたが、アメリカンスクールに入ってから「人と違う事は良い事」と気付かされます。

分からない事は分からなくても良い、それを覚える為に学校に通っているのですから。学校で優等生になる為に「家で復習・予習して、先生に聞かれた時に正解する」事が優等生では無い事に気づきます。

それから僕は高校卒業まで家では殆ど勉強しなくなった訳ですが、それは何故なら「勉強の為に学校に行っているから」学校で全てのインプットは終わらせてくるからです。

話を戻しますと、何も知らない新しい状況に放り込まれても、今まで以上に学校という物を楽しめていたので学校は楽しめていました、嫌々学校に行くのでは無く楽しみに学校に行く。

学校が楽しめていたのは幸いでした。

日本からいきなりマレーシアに来て思った事

日本からいきなりマレーシアに来る事を告げられた小学生4年生の著者、正確に言うと告げられたのは3年生の頃でしょうか?

最初マレーシアに来た頃は本当に大変、そんな気持ちが何よりも勝っていました。

当初マレーシアに来た時はアメリカンスクールではなく違う学校に長期の体験入学で仮に入っていて、その頃は本当に宿題も何ひとつ分からない、プリントやってきてと渡されても全部横文字で目がまわる。

そして9年、10年も前の話です。今のように便利なアプリ一つで何でも出来る時代ではありません。買い物行く為にまずタクシーを呼ぶ、それにも1時間かけて電話する、そんな時代です。

ネットはありましたが、今のようにそこまで普及している訳ではありません。

もちろん、当時小学生だった僕はインターネットの存在はそんなに良く分かっていませんでしたし、全然便利だとも思っていませんでした。

調べればいいじゃん、が通用しない時代に言葉も分からない学校にいきなり入学、そりゃ大変です。

日本に帰りたいと思った事は?

大変だったなら日本に帰りたいと思ったことがあるのか。

結論から話しますと「日本に帰りたい!」と思った事は実はありませんでした。

理由は先程も言っていた通り、学校が楽しかったから、今までに無い位に学校が気に入っていて、だから日本に帰りたい、そう考えた事はありません。

日本に帰ったってどうせ楽しくない学校に永遠に通わないといけない、言葉も徐々にわかるようになり、友達とも話せるようになり、学校でも理解が追いつくようになってくるのが日に日に実感出来ます。

そんな楽しい事は無いでしょう。

「何も分からなかった」から「どんどんわかるようになってくる」のが自分で実感出来て、慣れてくると自分に合った教育システムこそが「アメリカンスクール」だった事に気付かされます。

小学生の頃はただ「インプット」の日々でしたが、中学生になり英語は完璧に付いていけるようになり、小学生の頃入っていた「英語特別クラス」も卒業します。

第3言語まで勉強するようになり、授業で何をやっているのか全部理解できます。そしてその授業スタイルにも目が行くようになり「アメリカンスクール」の教育スタイルが自分には合っていて日本の教育システムにも欠点があるという事を気づいたのも中学生の頃です。

アメリカンスクールは「平均的」な生徒を作り上げるのではなく、得意分野を更に伸ばし、出来ない分野は補っていく、そんな教育です。

例えば自分の場合は絶対音感があり音楽が得意でした。ただ人前に経つのは本当に苦手で、そんな時に当時の音楽の先生が「発表会してみない?」と声をかけて下さり、なんといきなり全校数百人の前でパフォーマンスをする事になりました。

そんな機会を与えてくれたおかげで人前に出ることにもちょっとずつ躊躇しなくなり、それを見ていた担任の先生が「討論大会」へ招待していただき、気づいたらアジア大会まで出場し賞状を取るまでに成長していました。

自分の性格が最も変わった出来事といえばこの2つでしょう。パフォーマンスはその後定期的に呼んでいただき、ほぼ毎年行っています。

討論大会も数大会参加させていただき、その活動を通して「自分で企画する力」「交渉する力」をつけられたと思います。

討論大会に参加する為にチームで募金活動を行い、学校の設備であったプラネタリウムを開放してもらい映画の上映会を実施、それも全て生徒数人で企画を行い、先生はほぼノータッチ。

プラネタリウムを使う為に学校に交渉に行き、さらにプラネタリウムを管理している方に上映の交渉、あの経験は今でも忘れません。

「すんなり学校が許可してくれない」からこそこのスキルが培われましたし、逆に全面協力だったら交渉スキルや企画のスキルは身についていないでしょう。

ただ学校の言いなりに動いていたでしょう。

2017年に転校

そして学校生活を楽しんでいた著者にも転機が訪れます。

学校にはそれなりに満足していましたが、「進学のサポート」という面で先輩方から不満が相当出ているという噂を聞いていました。

確かに学校は進学サポートはあまりしっかりしていなく、全部自分で行わないといけない、サポート体制が整っていないと言われていて、年々改善はしていますが「自分も進学を考える時期」を迎えたので転校を視野に入れます。

その頃丁度建設中であった新しいアメリカンスクールがすぐそばに完成、それがその後卒業まで在籍する「シャタック・セントメリーズ」というアメリカの名門高校です。

本校は全寮制の160年以上の歴史がある名門高校、そんな学校がなんと家から遠く無い場所に分校を開校する準備を進めていました。

色々お話を伺い、学校見学もさせていただき転校する事を決めます。

それが丁度2017年、9年生から10年生になる段階です。アメリカンスクールでは9年生(日本でいうと中3)から高校という扱いになり、9〜12の4年間が高校です。

しかし9−10年生までは「転校も全然出来る」学年で、言ってみればラストチャンス。11年生を過ぎてしまってからの転校は推奨されていなく、受け入れていない学校も多くあります。

転校するならこの時期しか無い、そんなラストチャンスを活かし人生で最も長い5年間という長期間在籍していたラッフルズを辞め、新しいチャプターをスタートさせます。

転校後考え方が変わった

そして訪れた転校、転校後はまた考え方が変わりました。

今までは「インプット」を重要としていて、英語の勉強に重点を置いて、とにかく「インプット」の繰り返しをしていましたが、この頃から自分の日本語力にも疑問を持ちます。

日本人として生きている以上、日本の文化や日本語が必要だと、それは外国にいるからこそ実感出来た部分です。

さらにこの頃に一時帰国した際、会話はギリギリ出来ても読み書きが出来ない。名前書いて、住所書いて、名前しか書けません。

それに「日本語で大丈夫ですか」と言われた経験だってあります。

いや、日本人だから。

まったく意識していないのにも関わらず、自分の日本語はマレーシアに来た当初の「小学生」のままで止まっている事をこの時に知ります。

成長して高校生になろうとしているのにも関わらず、日本語の知識は小3で止まっているのです。

そして気づいたのは「インプット」では無く「アウトプットの重要性」でした。日本語を何故忘れてしまったのか、自分なりに解析して気付かされたのは日本語を家以外で使っていなかったからという事実。

英語は学校や街中、友達との会話で使いますが、日本語は親と喋る以外一切使いません。

そりゃ忘れますよね。

そこで「日本語のアウトプット」こそ日本語を上達させる近道だと気づき、日本語でのアウトプットとしてブログを始めます。

これが自分にとっても一つの転機でした。

厳密に言うと、転校前から少し始めていたのですが、転校を意識するようになり、今までの自分の経験をなにかに記したい、そしてアウトプットの重要性という物が更にわかるキッカケになって出来事の一つに転校があった事は明確。

写った先は同じアメリカンスクール、カリキュラムの違いはほぼ無かったのでスムーズに転校する事が出来ました。

転校後も「開校ホヤホヤ」のセントメリーズだった為、生徒数は少なく全校で100人ちょい程度。幼稚園から高校まである一貫校でこの数字は異様に少ないです。

さらに開校ホヤホヤだったから「学校が成長していくのが身を持って感じられる」雰囲気があり、生徒主体で様々な企画を行えるのも特徴。

成長しきった学校は全てが整っていてクオリティは高いですが、著者にはそれが向いていませんでした。なので最初に入学したラッフルズだって開校数十日後に入学、最初の2年は仮校舎で、それから本校舎に移り、やっと軌道に乗ってきて、全部が整ってきたかな、という5年目に抜けます。

そのままいたら「安定した」学生生活は遅れていたでしょうが、アメリカンスクールにいて小学生から「変化」を経験して楽しんでしまっていたら安定より「挑戦」を求める思考になっていました。

日本の学校にいたら絶対に「安定」を求めますよね。ネームバリューだって大事、歴史ある名門の方が新しい学校より好まれます。

アメリカンスクールで進学準備

転校した頃から常に頭の中にあったのは「進学」の準備。

アメリカンスクールでは10年生ごろから大学について考えるように鍛えられます。

  • 卒業後は進学するのか?
  • 何故進学するのか?
  • どこに進学したいのか?
  • 大学卒業後は何をしたいのか?

そんな事を日々問われます。

「何故大学に行くのか」なんて考えませんよね。それが世間一般的に「普通」だし「行っとくべき」と考えられているから行くんです。

ただそんな考えじゃ「行かなくていいじゃん、無駄だよ」と言われます。ここがアメリカンスクールの厳しさ。大学に行くのであれば目的を持ち、何をどこで勉強したいのか。

スキルを取るのか、ネームバリューを取るのか、「何故大学に行くのか?」と常に問われます。大学入学テストとして「なぜこの大学に入りたいの?」というエッセイを書く必要がある大学もあるので、海外ではこれが普通。

点数からしてこの辺の大学に入れる、、、なんて事を考えていたら「だったら働けば」というお言葉をいただけるだけです。

著者は進学に関しては3年間を通じてコロコロ考えを変えています。シンガポールに行きたいと思ったり、やっぱりマレーシアと思ったり、学部だって全然違う所を目指そうとしています。

変えたって全然いいんです、しっかりと目的さえあれば「変える=悪」では無く「変える=ステップアップ」と捉えてくれるので、学校も柔軟に対応してくれます。

そのために沢山の大学とお話をさせていただく機会を作ってくれ、多くの大学の面白い学部の説明を聞くことで「こんな所に行きたい!」と考えさせてくれるのがアメリカンスクールの特徴。

進学の為に単位を揃えたり、卒業の為の準備を意識し始めたのも転校してから。そして転校後3年間は常に「最上学年」だったのも刺激的です。

入学当初は10年生でしたが、11、12年生の受け入れは行っていませんでした。このまま10年生で入学した生徒が「学校初の卒業生になる」という事は理解していて、それに惚れ込んだのもあります。

先輩方がいるとお話を聞けたり、実際に学校のサポート体制やどんな道に進んだのか聞くことが出来ますが、自分の上にだれもいなければ自分で決める必要があります。

例が身近にいなければ手探り状態で色々な事に首を突っ込んでみて、聞いてみて、違ったら他の道に行く、それも全部「経験」にはなるので経験値は多くなる事が目に見えていました。

著者の場合、大学側と自分でコンタクトを取り、学校に必要書類を請求して、条件を満たす為に学校の進学カウンセラーと相談し単位を詰めていきます。

進学って気楽に挑んで良いという事を教えてくれ、違ったらまた変えればいいじゃないか、そんな気にさせてくれたのも転校したお陰ですね。

アメリカンスクールに長期間通っていたので英語系のテストは免除、一部テストが必要なくなり、イギリス圏の大学で多い「ファウンデーションコース」だって免除になります。

アメリカンスクールの卒業ディプロマ、結構強い。AP(Advanced Placement)などの単位を持っているとIB(国際バカロレア)と同等に見てくれる大学もあり、IBは2年間のコース、APは教科ごとに1年間なのでお得。

時間的にも節約になるし、結果的にパフォーマンスが高い進学をする事が出来る事は自分でやってみるまで知りえませんでした。

そして訪れた「コロナ」

そして順調に進んでいくと思いきや、最終学年の12年生で世界的猛威を奮った「新型コロナウイルス」がやってきます。

マレーシアも例外ではなく「長期間の休校」となりました。

最終学年の半分がオンライン授業になり、一番重要である学校終わり最後の1ヶ月も完全にオンラインとなりました。卒業式だってオンラインです。

新型コロナウイルスの影響は大きく、学校が長期間休校になるということはそれだけ授業の質だって落ちるという事です。授業時間も短くなり、テストも開催されませんでした。

アメリカンスクールで最も重要な「SATテスト」は2回キャンセル。大学側に確認すると臨機応変に対応してくれ、SATの点数は必要無いとの事です。

また卒業プロジェクトは学校で「なにか」を開催する必要があり、従来であったらイベントを開催したり、部活を作ったりと何かしら開催します。

しかし丁度その時期に休校が重なってしまい、無理。

そんな問題にもしっかりと対処する必要があり、オンラインで出来るものをチョイス。結局はウェブサイトの作成でうまく収まりましたが、こんな経験も2021年に卒業を迎えたからでしょう。

卒業式がオンラインとなりましたが、それでも「今年らしい」波乱万丈の学年度を終えることが出来たし、逆に考えれば2020年、2021年の学生しか経験できない貴重な卒業式を迎える事が出来たと捉える事も出来ます。

こんな経験、もう二度と無いでしょう。

そんな歴史の真っ只中に高校卒業を迎えられた事は、ネガティブなポイントもありますが、そういう時こそ逆に今じゃないとできない物、そう捉えられるように考える様になったのもアメリカンスクールにいたからこそかもしれません。

常に「違う視点から物事を捉える」という事を鍛えられてきたアメリカンスクール、歴史の勉強だって「様々な国の視点」から見れば論文だって「違う研究者の見解は…」と必ず調べます。

ニュースもそうです。「ニュースは基本フェイクだから」そんな考えを教えてくれたのはアメリカンスクールならでは、日本じゃ絶対にそんな事は無いでしょう。 

アメリカではニュースが嘘つくことは普通です、バイアス記事めっちゃあります。そんな中、様々なソースから情報を得る事で出来る限り真実に近い事実を知ることが出来ます。

そんな「多方面から知る」という事がアメリカンスクールで学んだスキルの中でも最も重要な社会スキルの一つです。

途中で訪れた「ブリティッシュスクール」への転校危機も…

実は途中で「ブリティッシュスクール」も考えました。ずっとアメリカンスクールで学んできて5年、高校進学の段階でブリティッシュスクールに入ることも視野に入っています。

ブリティッシュスクールもインターナショナルスクールという点では一緒です、日本人にとってはアメリカンスクールより馴染みのある教育システムかと思います。

日本の教育システムがイギリスのを元に作られているので、日本の授業スタイルに近いです。

思考型もありますが、やはり暗記型の授業が多く、プロジェクトベースでは無くテスト型の採点が多い。学校によって差はありますが、アメリカンスクールはテストなんてほぼありません。

年に数回です。

アクティブラーニングを多く取り入れているアメリカンスクールに対し、イギリス式ではまだ「教えるのが先生」「学ぶのが学生」としっかり立ち場は明確に分かれています。

「学ぶのが学生」「サポートするのが先生」という立ち場になっているアメリカンスクールから比べると、担当者の方の話を聞くだけでも違いが明確にわかりました。

ブリティッシュスクールの転校も一つの選択肢としてはあった訳ですが、結局自分に合った教育スタイルはアメリカンスクールだった、(他にもいくつか理由はありましたが)という事が大きな決め手となりアメリカンスクール→アメリカンスクールへ転校。

振り返ってみると小4から高3まで9年間も通っていました。

結果的にアメリカン・スクールで良かった?

結果的に9年間もアメリカンスクールに通いましたが、著者にとってはこの学校生活は合っていました。もちろん、性格的にイギリス系の方が合っている子もいます。

性格的に考えて「合った学校を選ぶ」必要があり、必ずしも「アメリカンスクールおすすめ」とは言えない。特に高学年になるとアメリカンスクールは自己責任の部分が多くなり、中学生頃からいきなり授業が難しくなり、単位だって「落としたって先生は知らないからね」スタンス。

自由の国アメリカのカリキュラムを使った教育スタイルはたしかに「自由」ですが、自由な分高校は半分大学のような扱い。授業に来るのも自由、来ないのも自由、それで単位落としてもそこは自己責任。

自分から先生にお願いすればサポートしてくれますが、ただ黙って提供される物を待っているだけじゃ、全く意味無いです。

待ちたいなら提供してくれるイギリス系の学校の方が良いでしょう。

自分で動いて色々やりたい人はアメリカンスクールとの相性は抜群。

ありがとうございました

ここまで読んでいただきありがとうございました。

9年間アメリカンスクールに通い、無事に卒業する事が出来ました。

9年間分の話は記事1つにまとまる物でも有りません。

日常から考えられないことも多く経験させていただき、一つ一つ紐解いていくと本になる位のストーリーがあります。

今回は一つの「記事」なのでギュッとまとめまていて省いている物も多いですが、無事に卒業出来たのも皆様のサポートのお陰です。

ではまた次の記事でお会いしましょう!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

フォローおねがいします!

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